太陽国体出場者インタビュー
ボクシング競技 高校生の部3位入賞 浦雅智さん
昭和47年第27回「太陽国体」鹿児島県/太陽国体ボクシング競技 高校の部3位入賞。
試合中の浦さん(写真左)。会場は当時の市民体育館(現在、風テラスあくねが所在する場所にありました)。当時の写真はアルバムに入れて大切に保管しておられます。
―国体選手までの経緯を教えてくださ い。
高校1年のときに九州大会出場(2回戦敗退)、高校3年のときに山形で行われたインターハイ出場(2回戦敗退)などの経歴を経て、阿久根農業高校チームの一員として太陽国体に出場し3位の成績を収めました。
―当時の思い出を教えてください。
太陽国体は高校3年の時でした。国体の合宿の際に、台風による洪水に見舞われ、使用していた体育館が床上浸水してしまいました。その際、リングを解体して2階までみんなで運び、練習を何とか再開したという出来事が印象に残っています。
―他にも大変だったことはありますか?
何より減量がつらかったです(笑)試合前には5~6キロの減量をしていたのですが、そのときは水分や食事を抑えトレーニングに励んでいました。夕食にキャベツ4分の1玉を電子レンジで温めただけのものを食べていたこともあります。
―ボクシング競技地元代表の西田さんへ 一言お願いします。
国体のときにできた人間関係が今でも続いていること。県内外にできたつながりの
おかげで、今も協力し合う関係が続いています。そういった人とのつながりも大事に
して、最後まであきらめずに、頑張ってください。
選手団騎手も務めた 水泳 坂元要さん
旗手を務める坂元さん。写真は、当時よく取材をしてくれた記者の方から「記念だから」と大判刷りでいただいたもの。大切に額縁に入れて飾ってあるそうです。
昭和47年第27回「太陽国体」鹿児島県/水泳
アクネ大使。(公財)日本スポーツ協会 副会長。株式会社日本水泳振興会 代表取締役社長。
―当時の思い出を教えてください。
太陽国体は高校2年の時でした。400メートル自由形と800メートルリレーに出場し、どちらも2位に入賞しました。前年の和歌山国体が自分にとって初めての大きな大会でしたが、結果は振るわず、ゴール後は自力でプールから上がれないほどへとへとで全国の壁を感じました。翌年は地元開催ということもあり、国体前の1年間は、毎週土日は合宿で、皆必死で練習しました。鹿児島県勢は、その1年間でめきめきと力をつけていきました。本番では、高校の同級生たちが客席で、声援を送ってくれているのが見えて、嬉しかったことを覚えています。
―当時は旗手も務められたとか。
知らないうちに選ばれて驚きました。旗手として入場する時はとても緊張しました。写真にも写っている審判団の列の中に、中学校時代の指導者の濱崎敬和さんがいて、心配そうな表情でこちらを見ていたことをよく覚えています。当時は選手宣誓をする選手と2人で、鹿児島のテレビや新聞社の方から、たくさん取材を受けました。
―かごしま国体に向けて市民の皆さまへ 一言お願いします。
選手だけでなく、監督・コーチ・選手の家族など、たくさんの方が阿久根にやってこられます。阿久根の魅力をたくさん知ってもらうために、ぜひ、おもてなしの心で出迎えてもらいたいです。また、選手たちは、不思議と客席の隅々まで見えているものです。声援や横断幕なども大変力になります。ぜひ、会場に足を運んで選手を後押ししてほしいです。
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更新日:2023年09月22日