阿久根ボクシングの振興

更新日:2023年09月21日

和泉哲人氏の存在~ボクシング振興への貢献~

国体が縁で阿久根に根差し、多くの地元青少年ボクサーを育成

「地元阿久根から国体選手を出す」「二巡目の鹿児島国体では、ボクシングの開催地は必ず阿久根になる」

国体ボクシング開催地が本市に正式決定する前から、そう唱え続け、地元青少年ボクサーを熱心に指導してきた方がいます。故和泉哲人先生(平成27年没。享年82歳)。

2023年かごしま国体開催を見届けることは叶わず、残念ながら他界されましたが、最後まで、ボクシングの振興と地元選手の活躍を願っていたそうです。

和泉先生は、長年にわたり教員として、県内の中学・高校で多くの青少年ボクサーを育成・指導してきました。教員定年後は、阿久根市ボクシング協会の会長として、地元青少年ボクサーを導いてきました。

沖永良部出身の和泉先生は、戦後、地元で在日米兵に教わり、ボクシング人生をスタートさせました。鹿児島県の教員に採用され、太陽国体でのボクシング競技の開催地が阿久根市に決まると、阿久根中学校への配属となり、その後、太陽国体までは、阿久根農業高校で指導を行いました。

国体後も県内の転属先の学校で指導を行ってきました。とりわけ、和泉先生の地元でもある沖永良部の沖永良部高校では、ボクシング部を全国屈指の強豪校に育て、ロンドン五輪金メダルの村田諒太さんを育てた武元前川さんの指導も行いました。

定年後は、阿久根市に定住し、市ボクシング協会会長を務め、現在の会長である内園智雄コーチと二人三脚で、地元青少年ボクサーの育成・指導に当り、東洋太平洋ミドル級王者の淵上誠さんや、多くの青少年ボクサーを、全国で競えるレベルまで押し上げてきました。特に、鹿児島国体を見据え、熱心に指導を行ってきました。

沖永良部から、国体とボクシングが繋いだ縁で、阿久根に定住し、晩年までボクシング競技を通して、阿久根市の青少年育成に貢献されてきた和泉先生の功績は計り知れません。

和泉先生

▶晩年、自宅で子どもたちに座学でボクシングの指導をする和泉哲人先生(故人・写真左)。机に座って話を聞く3人のうち、中央に座っているのが西田海音選手。内園コーチ曰く、子どもたちとは、おじいちゃんと孫のような関係だったそう。

世代を超えて地元ボクサーの中で生き続ける和泉イズム

和泉氏のTシャツを持つ西田選手
西田 海音さん

「国体に出たい」と思うきっかけになった方です。練習場が使えない月曜日には、学校終わりに学校まで迎えに来てくれて先生の自宅で指導してくださいました。優しいけれど、技術面はズバッと分かりやすく教えてくださいました。技術だけでなく、人として大切なことを、紙に書いて渡してくれたり、ボクシング以上の事を教わりました。

浦雅智さん
浦 雅智さん

太陽国体前に、和泉先生が阿久根中に赴任して来られてからボクシングを本格的に始めました。阿久根農高進学と同時に、和泉先生も阿久根農高に配属になり、高校でもご指導いただき、国体出場まで育てていただきました。遠征では先生が自家用車を出してくださったり、先生のご自宅で合宿をしたこともありました。厳しくも優しく指導してくださいました。

内園智雄さん
内園 智雄さん

高校2年の時に「本格的にボクシングをしてみないか」と声をかけてくださり、基礎からみっちり教えていただきました。その時代は、練習環境に恵まれていませんでしたが、先生が私財を投じて、道具や練習環境を整えてくださったのを覚えています。「(地元選手を出すよう)国体を頼んだぞ」という先生の言葉が今も心に残っています。

和泉氏、内園氏、米丸氏

▶教え子の橋崎健太さんと米丸響さんがジュニアボクシング九州大会で優勝し、全国大会に出場した際に撮影。(写真左から内園コーチ、米丸さん、和泉先生。平成26 年撮影)