沿革
時期 | 出来事 |
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昭和26年 | 阿久根小学校第5回運動会で華の50歳組が誕生。 |
昭和28年 (昭和32年) |
大川小学校で華の50歳組が始まる。 |
昭和35年 | 西目小学校で華の50歳組が始まる。 |
昭和50年代 |
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昭和60年 |
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平成6年 |
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平成18年3月 | 「華の50歳組」の商標登録の認可を受ける。 |
誕生エピソード
時代背景
華の50歳組が始まった当時の国内事情は、終戦直後の混乱期を過ぎたころで、国民は精神的には落ち着きを取り戻してきたものの、物質面では衣食住の欠乏があり、特に食糧事情は深刻であったようです。一方、スポーツ界においては、古橋廣之進・橋爪四郎の両選手が水泳会の世界記録を次々に塗り替えて国民に明るい希望を与え、スポーツの振興の兆しがようやく見えてきた時期です。
そのころの阿久根は、イワシの景気に沸き、経済的にも活気を呈したころで、昭和27年には、鹿児島県内6番目の市制を施行するなど戦後の一大復興期でした。
「華の50歳組」誕生の諸説
昭和26年に阿久根小学校の体育主任であった岩切亀彦氏(故人)によると、当時50歳だった数人で血気盛んな青年時代の競争話が持ち上がり、それに同調する人々が互いの挑戦論をエスカレートさせ、さらに数人が加わり「今、競争して決着をつけよう」という話になり、当時の阿久根小の竹下利男校長(故人)に秋季運動会で50歳の競争種目を入れてくれるよう相談したのがきっかけといわれています。
また、一説によると、この年に天皇陛下が50歳を迎えられたので、これを機会に同じ年の50歳の人達が率先して何かスポーツでもやってみようということになり、竹下校長に相談して事が運んだともいわれています。
「華の50歳組」という呼び名の由来ははっきりしませんが、平成2年まで「花」の字であったものを阿久根小学校昭和29年卒の方々の50歳組のときに「人生の折り返しとなるこれからを華やかに生きよう」ということで「華」に変更されています。
目的の発展
華の50歳組の当初の目的は、中年層の体力保持・健康増進だったと思われます。現在では、50歳という節目の歳に母校の運動会へ参加するのを機会に、同級生が一堂に会し互いの無事を喜び亡師・亡友の慰霊をおこなうとともに、童心に帰って競技に参加して旧交を温め連帯感を深める同窓会として、阿久根市特有の慣習になっています。
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更新日:2021年03月08日