阿久根市の歴史
阿久根は、平安時代末期には英祢(あくね)院と称され、その院司に任命されていた英祢氏によって統治されてきました。後に英祢は「莫祢」とも書かれ、15世紀中期に現在の「阿久根」に変わったとされています。島津氏の統治後、明治4年の廃藩置県で鹿児島県に属し、明治22年の市町村制実施によって阿久根村として現在の基礎が確立しました。その後、大正14年に町となり、昭和27年4月に県下6番目の市として発足しました。さらに昭和30年には、隣接の三笠町と合併して現在の形態となりました。
年表
昭和27年 |
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昭和28年 |
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昭和30年 | 三笠町が阿久根市と合併 |
昭和33年 | 商工会が阿久根商工会議所となる |
昭和34年 | 阿久根砲が県・文化財に指定される |
昭和36年 | 建設省鹿児島国道工事事務所阿久根出張所が開設 |
昭和39年 |
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昭和40年 |
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昭和42年 | 阿久根電報電話局が完成、電話が自動化される |
昭和43年 |
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昭和44年 | 高松川防災ダムが完成 |
昭和46年 |
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昭和47年 | 市の木に「あくね文旦」を指定 |
昭和48年 | 市民いこいの森をつくる |
昭和49年 |
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昭和50年 |
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昭和51年 | 松田進、名誉市民第3号となる |
昭和53年 |
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昭和58年 | 阿久根大島の松が「日本の名松100選」に選ばれる |
昭和63年 |
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平成元年 |
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平成2年 | 集落再編整備事業で本之牟礼集落が倉津に集団移転 |
平成3年 | 水産加工団地、食肉加工団地が完成する |
平成6年 | 総合体育館完成 |
平成8年 | 「道の駅阿久根」開駅 |
平成9年 |
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平成10年 |
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平成11年 |
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平成12年 | 阿久根大島の再生を目指し、1300本の松を植樹 |
平成13年 |
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平成14年 | 番所丘公園全面オープン |
平成15年 |
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平成16年 | 鹿児島本線川内~八代間がJR九州から経営分離され肥薩おれんじ鉄道が開業 |
平成17年 | 阿久根、阿久根農業、長島の3高等学校の統廃合に伴い県立鶴翔高校が開校 |
平成18年 |
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平成19年 | つわぶきを市の花に制定 |
平成20年 | 南九州西回り自動車道 出水阿久根道路着工 |
平成25年 | 阿久根市初の女性消防団が発足 |
平成26年 |
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平成27年 | 南九州西回り自動車道 出水阿久根道路が一部開通(野田インターチェンジ~阿久根インターチェンジ間) |
平成28年 | グランビューあくねが営業を終了 |
平成29年 |
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平成30年 |
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更新日:2021年03月08日